45話『かごの鳥』
無駄に身体張るダミヤと解毒薬を差しだすキリク
「彼らは訓練を受けています」とキリクに言わせ、堅き楯が、あたかも毒に耐性を持っているようなことを匂わせます。
えええええ??? 王宮はずいぶんえげつないことを楯にさせているのですね。
解毒薬なしでイアルが毒に耐え抜いたことの理由付けのために余計な設定を加えているわけですが、原作のこの場面でイアルが死なずに済んだのは、急性症状としてはめまいや痺れがおこるものの、純度が低くてさほど持続性のない毒だったからなのだろうと推察します。なのに、こんな設定を加えられると、かえって疑問がわいてきます。
当然、医術師並みに毒の知識を身につけたのだろうと思うのですが(同僚が毒を盛られた時に対処できなくっちゃ困りますものね)、だったら39話のチチモドキのことも、解毒薬のツリガネアオイのことも、知っていても良かったのではないでしょうか。
だって、大公領にしか生えない毒草なのに、王都の教導師長さまが書いた毒の書にもちゃんと載っているくらいなのですからねぇ。
大体、王宮は毒見役にも知識を与えてあげていれば良かったのに。ナミカワイソスw
それから、イアルの杯にだけ塗布しておけばいい毒をダミヤ自身もあおるなんて、無謀というかナンセンスなんじゃ...?
御座船を襲わせた闘蛇の育成にだって、卵の入手から3年以上はかけてきていた周到なダミヤが、無駄に身体を張るような愚かなまねをするはずがない(ていうか、べきでない)と思いませんか? そんなダミヤのシナリオに異を唱えないキリクもキリクですよ...。
原作にはいないキリクをなんとかして絡ませたいがため、不自然な筋書きと解毒薬なんて小道具の追加。さらに「イアルは鍛えてる」設定。無理を継げば継ぐほど空々しくなっていくという残念な例でした。
それと、このシーンのセリフに一か所、小学生レベルの文法の誤りがあるので書いときますね。
このくらいいいか...とずっと我慢していたんですが、やっぱり耐えられないので。
「ひとつだけ、我らの道の妨げとなるものがいる」(ダミヤ)
.......。
はい、ここのなにが問題なのかわからないものは、職員室に来ること。いいですねッ!!!。
イアルに正体がばれたキリク
芸術的な仮面の割れ方で素顔をイアルにさらしてしまったキリクが、イアルに自分の行いを詰られて愕然とするシーンですが、どうもなんかあのキリクのリアクション、腑に落ちないんですよね。
だって、イアルに言われたのとほぼ同じことを、43話で自分でつぶやいているんですもの。その頃から自覚があったのに、他人から指摘されてなんで初めて気づいたみたいに狼狽して泣くのでしょうか。
そう感じてしまうのも、前のページで書いたように「不用意なセリフの使い回し」の弊害だと思うんですよね。
ここではむしろ、「わかってたさ!! ……でもほかに、僕にはどうしようもなかったんだ...ッッ!!」とか、逆ギレするセリフでもあったほうが自然に見えたと思うのですが、いかがでしょうか。
46話『ふたりの絆』 47話『清らかな夜』 48話『リョザの夜明け』
この辺はまあ、オリジナルの演出も含め、おおむねいいんですが、やっぱり仮面BOYSがねえ...。
ダミヤは、自分自身でも個体識別できない仮面を手下につけさせるなんて、危ういと思ったことはなかったのでしょうか。
原作の方なら、イアルが優秀な武人だから警備をかいくぐられて、野望を打ち砕かれちゃったんだって思えるのに、アニメのダミヤは、みすみす仮面BOYSを自分の周囲に配したことで、イアルが紛れ込む隙を作ってしまったということになる。
いよっ、墓穴掘り!!
要するに、アニメのダミヤって、すごく間抜けに見えるんです。間抜けだから失敗した、ただのがっかりキャラになってしまいましたよね。
49話『決戦』
チョクとタイランがまさかの再登場。はて、闘蛇乗りでなく、医術師でもない鬪蛇衆って戦場に同伴するのかな? 今回はシュナンも言う通り「これは戦ではない」から、いいの?
わかるようでわからない、雰囲気先行のセリフ
気になったのが、
「夜明けのあとに来るものは、夜だ」(ヌガン)
という微妙セリフ。言わんとすることがいまいちわかりません。
このモヤモヤ感は前にも...と思ったら、あった!
「霧は霧に還るのが運命(さだめ)です」(ナソン、8話)
もしかして...? と、Wikipediaでスタッフリストを見たらやっぱり。両回とも、
脚本:藤咲淳一
orz...
ちょっと、ひとりよがりなセリフ遣いが多い人なのかな? オリジナルのセリフで外すなんて芸当はいらないのですが...。
さあ、いよいよ次のページで最終話を含めた総括をしますよ。